子どもは写実を好むという話を聞きました。
絵本にはデフォルメされたイラストが用いられることが多いので意外。
簡素な画面は不安感を与えるらしく、“本物のように描かれた野菜”など、見たままの世界に自然と心が向かうそう。
わたしたちは生きている間に、どうしようもない苦悩に直面します。
輝かしいものを恨んでしまいそうになるほど、暗い場所に生きることもあります。
私は何の光も届かない絶望が、ここにもあるということを伝えたくて、暗闇のそばにいたくて、苦悩を描きました。
けれど画面から漂う不安感は、逆に、絶望を抱えながら何とか明るい世界に踏みとどまる人をもう一度、奈落の底へ誘うのかもしれません。
わたしの抱える孤独が誰かの孤独を誘発するんです。
隣に立って、引きずって、もう一度。
人間であることの不完全な精神をこれでもかと画面に表現する。
それは芸術であるのかもしれませんが、子どもたちは明るさを無意識に求めます。
話していて気付かされました。
表現をするものとしての、心の立ち位置について、考えさせられます。
苦悩を全面に押し出す絵は好きですし、描きたくなる。
これからも描くだろうし、何よりもわたし自身の人生を乗り越えるために、大切にしていたいと思います。
けれど、それを抱えるのはわたしだけでいいのかもしれない。
わたしが知っていて、わたしが向き合って描いて、画面で再確認して、また描いて。
それだけでいいのかも。
伝えるなら希望を。
横に立って、手を伸ばせば届く“あなたの光がここにあるよ”と語りかけるような。