刺激と余韻

触れている瞬間に刺激を感じるものが、必ずしも余韻を残すわけではない。

目の前にあるときには、平凡で、どこか物足りない。

けれど日常に戻ってから、その世界観が心に残り続けることがある。

エキサイティングな揺れ動きも良い。

日常をがらりと変えてくれる存在はたとえ瞬間的ではあっても、繰り返しの日々を送る私たちの退屈を紛らわせてくれる。

けれど私が目指すならば後者かな。

かすかな余韻で包み込むような表現。

でもそういった作品は平凡そうに見せかけて、実は何かが隠れているようにも思う。

何だろうか。

淡々とした流れの中に、何かがある。

確かにそこにありながら、心を掴まれていることに、気づかせない。

知らないうちに、引き込まれている。