恋する脳内麻薬

誰にでも起こりうる、人生におけるアクシデントを繰り返し乗り越えた代償により、わたしの脳は脆くなった。

人間はドーパミンに翻弄され恋に落ちるらしい。

そんなありふれた刺激がわたしにとっては命取りになることを知った。

ゆえに、わたしは非常に淡々とした生活の中にいて、毎日地味に生きています。

朝起きて、散歩をして、絵を描いて、洗濯をし、食事を作り、掃除をして、眠る。

毎日毎日。

無という感情に近いかもしれません。

それでも桜は綺麗だったし、コンビニの120円コーヒーは美味しくて、それなりに幸せです。

身を焦がすような恋愛もまた、振り返ってみれば人生を彩るもののひとつだったし、恋を超えた後に残ったのは、結局は愛だったのかなと、勝手なことを思っています。

けれどもしも逆に、愛から始まる恋があるなら。

愛くるしい、という感情から、繋がることができたなら。

快楽的な刺激ではないかもしれませんが、お互いの愛ゆえに、相手を幸せにしたいという感情が、そこに恋を生むのではないかと、半ば願いを込めた仮説を立てました。

当事者にとどまらず、できる限り穏やかな空気が、波紋を広げるようにして、ささやかでも世界を包んでいく、そんな愛があるのなら。